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ぼくは最初、国枝慎吾選手が苦手でした。
理由は、どの試合でも勝ち続け機械みたいですごすぎるし、国枝選手がいつも言う、「オレは最強だ!」という言葉が自画自賛に聞こえるし、何でもできて、ずるいと思ったからです。
ぼくも国枝選手と同じで歩けません。1年生のときに車いすテニスを始め、ある日、レッスン後に、国枝選手に会いました。友達は「大ファンなんです」と近寄っていきましたが、ぼくは遠くで見ていました。同じ車いす同士だけど、違いすぎて比べられたくないなと思っていました。
でも、テニスをがんばるうちに、国枝選手のプレーに憧れるようになってきました。そんなとき、国枝選手が自分について語った初めての本、「マイ・ワースト・ゲーム」を見つけ、どのように世界一になったか、なぜ、車いすテニスプレーヤーになろうと思ったか、知りたいと思いました。
国枝選手は、パラリンピックに5大会連続で出場して、金メダルを4個もとり、テニスの大きな大会のシングルスで28回も優勝して、世界ランキング1位のまま引退したすごい人です。本は、そのすごさを書いたものだろうと思って読み始めたら、いきなり1章が「2度の引退危機」でびっくりしました。リオ・パラリンピックに向けてのケガとの戦いや、リオでの負けが書かれていました。無敵だと思っていた国枝選手も負けたことがあるのかと思い、衝撃を受けました。
それと「オレは最強だ」の秘密もわかりました。自画自賛していると思っていたけど、逆でした。不安だから言い聞かせていることが分かりました。一生懸命何度も鏡の前で自分に言い聞かせて、ラケットにも同じように書いて試合中何度も読んで言い聞かせている様子が思い浮かびました。テニスノートをレッスンの後に書き、次のレッスンでコーチに見せ、確認してもらうようにしていました。ぼくもそれを本で読み、最近、真似するようになりました。
ぼくは、生まれたときに息をしていなくて2カ月ほど入院しました。退院するまでにたくさん治療を受けました。少し大きくなってぼくは歩けないと知ったとき、「あ、ぼくは歩けないのかな。なら、この世界に生まれて余計だったかな」と思いました。けれど、車いすから見たら、みんなと変わらない、楽しい世界でした。
国枝選手は今のぼくと同じ9歳でがんになって、手術の後、歩けなくなったと知って、病室の窓から飛び降りたいと言ったそうです。その後は、命があることへの感謝がテニスや人生への向き合い方につながっていると書かれていました。そんな思いで頑張ったからこそ世界一になれたのだと思います。
一度死にかけたぼくも、国枝選手に負けないくらい、自分の命をかがやかせて、世の中に役立ちたいです。
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●読んだ本「国枝慎吾 マイ・ワースト・ゲーム 一度きりの人生を輝かせるヒント」(朝日新聞出版)
国枝慎吾、稲垣康介・著
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