第69回中学校の部 優秀作品

「川で繋がる未来」
 神奈川県横浜市立横浜サイエンスフロンティア高付属中 3年 伊藤蒼唯

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 この本を手に取ったとき、「人がつくった川」というフレーズが文字通りの意味だとは思ってもみなかった。悠久の時の中で生み出された大自然が、小さな人の手によって形を変えられるなど想像すらできなかったからだ。だが、この本を通して荒川が現在に至るまで二度の大きな工事を経て人の生活や安全のために形を変えてきた事実を知るに至り、私は大いに驚かされた。

 一度目の工事の目的は川の水を利用し暮らしを豊かにする「利水」だ。飲み水の入手や稲作のためだけでなく、舟運が盛んだった江戸時代では川は交通路としても必要とされた。舟運には水量の多い川が向いていることから伊奈忠治の主導のもと荒川を西に移し他の川と合流させる工事が行われた。この「荒川西遷」で荒川を生まれ変わらせたことは、江戸を交通の要衝として発展させ、ひいては現代の大都市・東京の形成に貢献し、私たちも少なからずその恩恵を受けている。そう考えると、重機もなく測量技術も乏しかった時代に莫大な労力と創意工夫によって荒川西遷を成し遂げた人々に感謝せずにはいられない。

 二度目の工事は人々を水害から守る「治水」のために行われた。実は荒川西遷の際も、治水は行われていた。しかしそれは、江戸を堤防で守る代わりに、周辺の地域を遊水地にするという犠牲を伴う方法だった。だが、明治時代に入り産業が発展するにつれてこの犠牲が許容できないものとなってきたため、青山士の主導のもと、「荒川放水路」の建設が始まった。これにより荒川の下流は二手に分かれて水を分散しながら流れる形に変えられ、荒川西遷以降三百年もの間、東京周辺地域を悩ませた水害問題は大幅に改善されたのだ。そしてこれは、なんと百年以上たった令和元年東日本台風の時も氾濫から人々を守った。

 このような歴史的大工事には、当然ながら相応の費用や工事関係者・地域住民などの犠牲が伴ってくる。特に荒川西遷に至っては周辺地域の水害の増加すら事前に想定していた。そのうえで荒川西遷を実行したのは、そのデメリットを超えるメリットを見いだしたからだと筆者は推測している。だが、私はもう一つ、この判断を後押ししたものがあると思う。

 「わたしがこの世を去るときには、生まれてきたときよりもよりよくして残したい」これは、青山士が座右の銘としていた言葉だ。

 私は伊奈忠治も、同じ思いを持っていたのではないかと考えた。デメリットを重視して利水と治水の両立を目指しても、技術的な限界があり、いずれも十分な成果は得られなかっただろう。それならば、今は犠牲を払ってでもできる限りの利水をすることが、江戸や荒川流域のよりよい未来に繋がる。このような、当時のメリットデメリットだけでなく将来をよりよくしたいと願う気持ちが背中を押したのではないかと私は想像した。

 同じ川に対して、異なる側面から向き合った伊奈忠治と青山士。結果として、伊奈忠治の工事により生じた水害問題を青山士が解決した形にはなったが、決して後者が優れていたわけではなく、タスキを繋ぐように、自らの最善を尽くして後世に託したのだと思う。将来を見据えた上で現状に向き合うことが大切なのだと、私は二人から学んだ。

 そしてこのタスキは今、私たちにも繋がれている。

 近年、地球温暖化の影響で昔よりも大雨の頻度が高まり、それに伴って洪水も全国で増加している。今年の八月に台風七号が列島を襲い、鳥取県の千代川に架かる橋が流されるニュース映像を目にしたときの衝撃は、いまだ記憶に新しい。今まで通りの治水だけでは限界に近いことを思い知らされた。

 では、私たちは今をよりよくして後世に引き継ぐためにどう川と向き合うべきだろうか。

 筆者は、変化する環境の中生活を守るためには、これまでの自治体による治水に頼るだけではなく、「流域治水」の考え方が必要だと警鐘を鳴らしている。流域治水は、大雨の際に自分の家の生活排水を減らすなど、流域に暮らす一人一人がそれぞれできることに取り組むことで成り立つ治水だ。

 こういった取り組みを広めるには、誰もが治水を自分事として考えるようにすることが重要だと思う。かくいう私も、この本に出会うまでは、自分が治水に参加できることを知らなかった。自治体が行う大規模な治水工事に比べれば個人の力は微々たるものだが、町や区、市などの単位で団結して取り組めば大きな力になる。

 先人たちが利水や治水によって暮らしをよりよくしてきたように、その恩恵に与り生活している私たちも、よりよい未来を残さなければならない。その第一歩として、流域治水という新しい方法を自分の地域に広め、次の世代に引き継いでいきたい。

 

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●読んだ本「人がつくった川・荒川 水害からいのちを守り、暮らしを豊かにする」(旬報社)
長谷川敦・著

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