第69回高等学校の部 最優秀作品

「私のかけら」
 岐阜県立岐阜高 1年 内凜

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 ラブカ。水深千メートルに生きる醜い深海魚の名だ。大きく裂けた口に、虚ろな目。その細長い体は、魚というより獰猛な蛇を思わせる。本書の表紙のイラストに描かれたそれは、口を開けて笑っているように見えて不気味な印象を受ける。そんな題名とイラストに惹かれて、本書を読み始めた。

 物語の序盤で感じたのは、言い表しようのない不安である。どこにでもいそうな登場人物に、淡々とした会話。それらとは対照的な、どこか暗い描写や向かうところを知らない話の展開は、緊張をかき立てた。何かが始まりそうな予感にページを捲る手が早まる。

 読み進めながら私は、橘と自分を重ねずにはいられなかった。彼とは程度が違うかもしれないが、私もいろんな人たちを騙しているような気がしたり、他人を信じることに難しさを感じたりすることがよくあるからだ。そしてこれは、人間ならば誰しも感じたことのあるものではないだろうか。

 例えば、自分の思う自分像と、他人から見た自分とのずれを感じるとき。人前では言えないが、実は自分はこうなのだという自意識は多くの人が持っているだろう。だから、それとは違うことを周りから言われると、自分が他人を騙しているように思えることがある。

 また私は、人を頼ることがどうしてもうまくできない。友達が自分に頼み事をしてくると、自分は頼られているのだと嬉しくなって引き受ける。でも自分のこととなると、小さな頼みすら素直に言い出すことができない。これを聞いて彼らは自分に対してどんな感情を抱き、どんな反応をするのだろう。自分の悩み事に人を巻き込むのは申し訳ないし、当事者ではない人に解決策を求めるのは恥ずかしい。そもそも話を聞いてもらって、何かが変わるのだろうか。そんな風に思うからだ。それは他人を信じきれずまだ自分の中に閉じこもっているということにほかならない。

 だから、他人の信頼を裏切り、この世そのものを信用できなくて苦しんでいた橘が殻を打ち破っていく姿に、私は心を動かされた。

 ある場面で橘が浅葉先生に、自分が長年一人で抱えてきた秘密を打ち明ける。浅葉先生はそれをまっすぐ受け止める。昔の話を未だに引き摺って恐れている橘を笑い飛ばすでもなく、大変だったね、と慰めるでもなく、ただ、「ダサくも恥ずかしくもない」「君が恥じるような話じゃない」と言う。

 今まで暗い場所にいたのが、目の前がぱっと開けて、明るくなるというのは、まさにこのことだろう。橘の場合は、自分が受け入れられたという安心と、拒絶されるだろうという予想が外れた戸惑いとの両方が同時に込み上げて来たのではないかと思う。動揺しながらも、橘は他人を信じる選択肢を知り、過去を振り切って前に進み出す。読んでいてとても勇気の出る場面だ。

 もう一つ、心に残った箇所がある。

 「透明な壁の向こうと自分との間には、著しい段差がある。世界のありのままの姿を、オートマティックに捻じ曲げてしまう分厚い壁。みずからの不信が作り上げたその巨大な防壁が、目に映るものすべてを脅威に変換してしまう。

 この脅威は、幻だ。

 手を伸ばすべき現実はいつも、恐れの向こう側にある。」

 これを目にしたとき、私ははっとした。まさに自分に向けられた言葉ではないかと錯覚したからだ。私はこの部分を何度も反芻し、時間をかけてゆっくりと噛みしめていった。

 そして考えた。他人を信じるとはどういうことだろう。

 私にとって他人を信じるとは、自分の一部を他人に託すということだ。一人では抱えきれないことを、他人に手助けしてもらいながらどうにか自分の中に戻し、また歩き出す。

 ではどうすれば、他人を信じられるようになるのか。

 私が考える最も大切なことは、全部でなくてもいいから、自分を信じる気持ちを忘れずにいることだ。他人に自分について素直に伝えることは、とても勇気のいることだ。なぜなら、それを受け取る方には当然、話し手との感じ方の違いがあるからだ。それを先回りして感じ取るから、私は橘と同じく、自分を否定されることを恐れている。しかしその段差を乗り越えて他人の元へたどり着くまでの間に、信じられるものは自分しかいないのだ。

 最後に、他人との信頼関係には、当たり前のことながら、相手への意識が必要だ。本書でも繰り返し触れられていた、他人に向けられた想像力。相手に自分の世界観を届けるには、どうすることが最善か。そして、相手からも信頼されるために、私はどんな言葉をかけることができるのか。私は本書を通して、今まで分からなかったその答えを実感しつつある。そして私は今日も、想像の小窓を開ける。

 

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●読んだ本「ラブカは静かに弓を持つ」(集英社)
安壇美緒・著

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