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天才浮世絵師、葛飾北斎――その伝記だと思って、最初はこの本を読んでいた。浮世絵を描き続けた北斎の一生が書かれていたからである。この感想文も、そのつもりで書き始めていた。しかし、あることを疑問に思った。浮世絵のことが書かれているのに、写真や絵が載っていない。なぜだろう。何かそこに理由がある気がした。
北斎漫画についてもっと詳細を知りたいと思った。そこでインターネットで調べ、本文と照らし合わせてみた。実際に見ると、感嘆の声が出た。かと思えば、変顔の絵に思わず笑ってしまうこともあった。
ここで、はっと気付いた。ぼくみたいに、読者に自分で調べてもらいたいから、筆者はあえて、浮世絵を載せなかったのではないか。そうして、自ら積極的に調べることの面白さを、ぼくたちに教えてくれたのではないか。このように解釈したのは、「日々起きる新しい出来事にアンテナを張り、追いかけ、その内実を明らかにしてゆく。」という一文を見たからだ。これは、筆者の千野さんが言うジャーナリストの姿勢だ。千野さんは、北斎を「江戸のジャーナリスト」と呼び、元新聞記者らしい様々な視点で北斎を描いている。付せんを貼りながら読み進めていくと、この視点の一つ一つが、まさに「鳥の目と虫の目」の「虫の目」だと感じられた。ジャーナリズムの世界では、「全体の姿をつかむために空高く飛ぶ鳥のような目」と「細部の把握のために、地をはう小さな虫のような目」の両方の視点が大切だと言われるそうだが、ぼくは、千野さんもその「虫の目」で北斎の細部に注目していると思う。
千野さんの「虫の目」で捉えた北斎の特徴は、まず、好奇心と探求心。北斎は、絵の技法を学ぶために、他の流派の門を叩(たた)いている。それまで積み上げてきた立場にこだわらず、常に新しい表現を追求し、挑戦する。ぼくが浮世絵の情報を集めたことも、好奇心を千野さんにくすぐられた結果で、北斎とジャーナリストの行動を模擬的に体験できた気がした。
また、千野さんは、国際派ジャーナリストとしての北斎も描いている。鎖国の時代にあっても、オランダ商館を通じて、北斎の浮世絵は世界に広まっていく。北斎の絵を値切ったオランダ人医師とのやり取りでは、日本が世界からどのように見られるかを考えた上で、日本人浮世絵師としての信用とプライドを守っている。この俯瞰(ふかん)的に外から自国を見る北斎の目は、「鳥の目」と言えるだろう。情報を制限された江戸時代において、この北斎の国際感覚は、驚異的である。世界とつながっている現代のぼくたちも、日本人としての自覚をもち、世界からの評価を意識して行動すべきだと思う。二百年前の北斎から国際感覚を学ぶのは、何とも不思議なことだ。
さらに、北斎の批判精神にも、千野さんは着目している。天保の改革で芸術や文化が取り締まりを受ける中、親友の戯作者の拷問死を暗示する絵を描き、幕政に抗議している。今よりももっと厳しい弾圧を受ける時代では、相当な勇気が必要だっただろう。その姿は、まさに江戸のジャーナリストである。
このように、付せんを一つ一つ確認しながら深く探ることは、ぼくなりの「虫の目」の読み方と言えるかもしれない。では、ぼくの「鳥の目」では、北斎をどう捉えればいいだろう。ぼくは、分かったことを繋(つな)いで、マッピングしてみた。すると、ジャーナリスト北斎の全体像が浮かび上がってくる。さまざまなジャーナリストの資質をもっている北斎だが、その根幹にあるのは、絵に対する情熱である。命を懸け、一生を掛けて描き続けた北斎だからこそ、日本に、世界に、時代を超えて現代に、発信し続けることが可能なのだ。冒頭で「天才浮世絵師」と一言で表現してしまったのは、あまりに単純で失礼だった。千野さんもあとがきで「天才」と表現しているが、きっと同じように、簡単に言い表せない思いがあって、最後までその言葉を使わなかったのだろう。
「鳥の目」でこの本を読み返すと、千野さんが北斎を通してぼくたちに伝えたいことも見えてきた。情報があふれている時代でありながら、ぼくたちは社会に対して無関心だ。それが投票率の低さやマイノリティーへの偏見・差別につながっている。ジャーナリストのように、もっと幅広く興味をもち、自ら調べ冷静かつ客観的に考えて、恐れず主張する自分であるべきだ。それができているのかと、鋭い目で問われている気がする。千野さんからだろうか。北斎からだろうか。どちらにせよ、ぼくはまだ、自信をもって「できている」と答えることができない。しかし、今回、「鳥の目」「虫の目」を意識して本を読み、この感想文を書くことができた。ぼくは、令和のジャーナリストに一歩ずつ近付いていく。
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●読んだ本「江戸のジャーナリスト葛飾北斎」(国土社)
千野境子・著
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