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今年、私は小学校の本部委員長になった。委員会で司会をしたり、児童集会で話したりするなど、正直、私の苦手なことばかりだ。この本の題名が目に飛び込んできたのはそんな時だった。きっと「苦手なことを克服しよう」という話なのだろうな。その予想は、半分は当たっていて、半分は違っていた。
この本が描く時代と場所では、肌の色や宗教の違いによる差別が当然のように行われ、特定の人種というだけで抑圧されている。もし私が、このような状況に直面したら、どうしたらいいのだろうか。
この本の中で、特に心に残った言葉が二つある。「くつや服はうばえるかもしれないけど、ぼくらの強さまではうばえないんだ」「だれかに大切なものをうばわれて、二度ととりかえせなくなってもいいのか」。強さとは、何だろう。何日も何日も考え続けて、ようやく自分なりの答えを見つけられた気がする。
ゲイブリエルとフリータが手に入れた「強さ」は、おそらく二つある。一つ目は、自分自身と向き合い、いろいろなことに挑戦して苦手を克服したこと。私にも経験がある。人前で話すことは苦手だったけれど、何度も練習や準備をして経験していくうちに、少しずつ自信がついてきた。あんなに何日も前から嫌だなあと思っていた児童集会が、今ではもうそんなにこわくない。挑戦できるタイプの苦手やこわさは、実は自分自身が成長するためのきっかけやチャンスなのかもしれない。
二つ目の「強さ」に気づくきっかけは、私のこわいものリストに並ぶ虫だった。克服を目的に図鑑を広げて調べるうちに、こわいと思っていた理由がわかった。それは、彼らの行動が予測できなくて、不気味に感じていたから。まだ苦手に変わりはないけれど、どんなものを食べたり、どんな環境を好むのかを知ったあとでは、「こわい」のレベルが格段に下がったように思う。同じことが人間同士にもいえるのではないだろうか。こわいと感じるのは、相手のことをよく知らないからだ。
こうして私がたどり着いた二つ目の「強さ」は、価値観の異なる他者を理解しようとすること、そして、理解してもらうための行動を起こすこと。知るのがこわいと思うのも不思議ではないし、理解を求める行動をすることにリスクが伴うこともある。同じ考えを持つ仲間とだけで過ごせる殻の中は居心地がいいかもしれない。でもそれは一方で、異なるものをおそれたり、差別し、排除しようとしたりすることにつながってしまう。殻の中に閉じこもる、きっとそれを「弱虫」というのだ。
今このときにも、世の中には差別や抑圧がある。目を背けたいような現実や歴史的背景であっても、勇気を出してきちんと学び、正面から向き合っていくことが、私の弱虫の殻を破る一歩だと思う。多様性を尊重し、差別や課題に立ち向かえる人間になりたい。私は、こわいものリストに書き加えた。
「自分の偏見や先入観」
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●読んだ本「ぼくの弱虫をなおすには」(徳間書店)
K・L・ゴーイング・作 久保陽子・訳 早川世詩男・絵
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