第68回高等学校の部 最優秀作品

「自分で選んだ道を行く」
 茨城県立竹園高等学校 3年 小倉優花

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 役に立つとはどういうことか。将来を検討するとき私達は、人や社会の役に立つ人間になることを期待されてきた。特に覚えているのは小学校の卒業式だ。「将来はサッカー選手になって、」と表明した、十人くらいはいただろうか、その子たちの多くが「子どもたちに夢や希望を与えたいです。」と結んでいた。十二歳の子が、だ。

 自分がただ好きだからやっていきたい、というだけではだめなのか。当時も今も、私にはやりたい勉強も活動もたくさんあるけれど、それが誰かや何かの役に立つとは思えない。

 この本の筆者、中村玄さんはどうだったか。今は海洋科学者として生物保護や環境問題等において社会に貢献しているが、幼少期は率直に生き物が好きという気持ちだけで動いている。幼稚園児の頃からひとりで黙々と虫を探すような子で、小学生になると下校するなり田んぼにザリガニや魚を捕りに出かける少年だったという。そのまま「生き物のことをもっと知りたいという好奇心に導かれ」「ひたすら興味の対象を追いかけていった結果、僕のフィールドは家の前の田んぼから北極海や南氷海にまで広がっていった」と語る。世の中のためを思う描写が目立ってくるのは、おおよそ大学入学後の、何年か研究を高度に進めた時期ではないか。海洋研究者として専門を追求していけば社会の課題に繋(つな)がるのはもっともなことだ。しかし自然なかたちでそこに至るまでの、ひたすら自分の好奇心を原動力にして生き物に没頭する姿は、私達の目に無駄や無意味に映るだろうか。いや、実に生き生きと人間的で、魅力的ではないか。

 かつて私は進路について、志望する社会学や人文学を選択することを躊躇(ちゅうちょ)した。理系が就職で有利だという声に戸惑った。理系学問の方が産業や公益に直結する、さらには理系人材の方が思考力で勝るとさえ聞いた。文系の危機を唱える本も何冊か読んだ。関心のある勉強が社会で役に立たないと宣言を受けているようで不安になった。

 そうして悩んでいるときに、世の中のさまざまな分野で活躍する人たちの姿を参考にしてみたいと思い、いろいろと探る中で出会ったのがこの本だ。中村さんは飼育しているトカゲへの愛情を周りの子にからかわれ、変なあだ名で呼ばれ嫌な思いをしたり、興味の対象がみんなと違う寂しさもあった。それでも根っからの好奇心と、その真摯(しんし)な熱意を理解した家族や友人の協力もあり、生き物を調べる活動をずっと貫いた。好きで選んだだけのことが継続的な努力によってライフワーク、果ては社会貢献にも至った人の実例は本当に尊い。文理の損得勘定など一蹴する。最初はただの好きなこととして選んだものでも、続けた努力の先には、どこかに繋がる道が開けるはずだ、と私も前向きになれる。

 もちろん、好きなことを気ままに続けていればいいのではない。中村さんの研究から学ぶのは、好きという推進力を持つ他方で、着実に科学的手法を踏むことだ。これは地味だが現在特に大切なことだと思う。

 世間では切り抜きやネタバレ、まとめサイトなど注目箇所の抜粋が重宝されている。動画や文章は短時間でインパクトを与えるものが好まれ、映像作品は倍速やスキップで鑑賞される。文脈や背景や因果関係を省略し、結論だけに目を通す傾向が私達の間で強くなっている。情報発信者の側では認知や承認の欲求が高まり、根拠を欠く内容でも斬新さや刺激を狙って発信される例が目立つ。こうした娯楽や日常で強く根付いた風潮が、同時代の人間活動たる学問や研究に影響しないとは言い切れない。あらゆる学問や研究は科学的でなければならない。この本はクジラの研究について易しく書かれているが、研究というものがきちんと手段を踏む、根拠を集める、などの科学的プロセスで支えられていることも教えてくれる。成果として華々しい注目はされないが、精細な下準備や諸データの確実な記録など客観性を確保することは不可欠だ。私もこの先、志す分野を専門的に勉強していく上で、結論の到達や成果を公表したい欲求に自分を見失うことなく、正しいやり方で物事を進めたい。人々に歓迎される新規性や独自性はその上に成り立つ。

 中村さんは高校時代、卒業を延期し一年間の海外留学をしている。これは生き物への興味とは関係なく、異国にホームステイをして暮らしてみたいという動機での決断だ。好きなことに夢中になる他方で、この視野の広さ、胆力、行動力がまた素敵だ。いみじくもその留学経験が、後のクジラとの縁や協力者との出会いに繋がり、国際調査の現場へ導いたりする。無理にドラマ性を高めなくても、人生は長く広く、志あれば豊かに歩める、とこの本に学ぶ。何者でもない、何者になれるかも分からない私だが、まずは自分の選ぶ学問に全力投球する決意だ。

 

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●読んだ本「クジラの骨と僕らの未来」(理論社)
 中村玄・著

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