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僕にも夢中になっているものがある。野鳥だ。誰より早く下校し、双眼鏡とカメラを手にフィールドへ。試験前も毎日鳥を見たいから普段から勉強はこまめに。週末は母に運転を頼み、県内外の探鳥地へ。就寝時の夢の中でも、憧れの珍鳥を見ている。日本で記録されたことのある野鳥をすべて見たいし、鳥類の研究もしてみたい。だからこそ、牧野少年が『植学啓原』で植物を生き物と捉える科学的な考え方と出会い、『クラスブック・オブ・ボタニイ』で分類学を知り、植物学にどんどんのめり込んでいく姿に、読み始めてすぐ共感した。小学校低学年のころ食虫植物に興味があって、ムジナモを発見した牧野富太郎の名は知っていたが、こんなにも突き抜けた人だったのかと、惹きつけられた。
牧野が二十歳のときに作った自分との約束「赭鞭一撻」が印象に残っている。この四文字の題は、古代中国の伝説から採ったものだそうだ。植物学以外の教養もあった人なのだなと尊敬してしまう。内容にも説得力があって、例えば「植物に関係する学科はみな学ぶを要す」。鳥のことでいえば、渡り鳥の動向を予測するには、地理や気象の知識も必要だ。「よろしく師を要すべし」「爾言を察するを要す」。野鳥を見ているうちに知り合い、お世話になっている人達の顔を思い浮かべた。図鑑や本からは知り得ない鳥の行動パターンや、潮の満ち引きと渡り鳥の関係など、長年の観察経験に裏打ちされた大先輩の着眼点と知識は奥深く、気づかなかった世界に導いてくれる。十五項目は僕も心がけて行きたい。
自分のやるべきことは植物の研究と心を定めてからの牧野は、力強い。まず「日本の植物のすべてを明らかにする」という壮大な目標を抱いて、有言実行しているところ。「結網子」と自分で名乗った号の通り、「求めるもののために、すぐに行動」してしまえるところ。植物学の発展のために、学ぶ者は皆平等だという信念を貫けるところ。研究成果と描きためた正確な植物画を本にして発表したいと印刷の技術まで学び、『日本植物志図篇第一巻』を刊行してしまう実行力には驚いた。ただ、東京帝国大学の矢田部教授の厚意で植物学教室に出入りし、本や資料を使わせてもらっていたのに、大学の「秩序」を飛び越えて、世界に自分の研究成果を発表してしまったことも、驚きではあった。それで気を悪くしたり、腹を立てたりする人がいるのも、想像できるからだ。
ここで、「好き」ということについて考えてみたい。植物にしろ野鳥にしろ、その対象を好きになると、知り尽くしたいと願うようになる。そのことばかり考えるし、それしか考えられなくなるときもある。僕にとっても、野鳥観察は趣味ではなく、ひとつの生きる理由のようなものになっている。まだ、大人になってから、野鳥とどういう関わり方をしていくか、明確な考えはまとまっていないが、毎日野鳥を見、図鑑や論文に触れずにはいられない。だから身に覚えがある。強い気持ちを、情熱といえば響きはいい。でも角度を変えれば、自分本位な態度になってしまうこともあるのだ。牧野の探究一筋に邁進するしわ寄せは、とくに牧野の妻・壽衛、子どもたちに降りかかり、苦労をかけた。「大八車で三十回も引越し」と読む分には面白いけれど、本に書かれているような苦労はほんの一部で、実際はもっと厳しいこともあったと思う。金融業者にしても、貸したお金を取り立てに行くたび無駄足に終わり、上司に怒られた人もいただろう。そういった場面では、「好き」を極め、貫くのは、単純なことではないのだと、複雑な心持ちにもなった。
それでも、この伝記を読み終わったときに残るのは、植物と密着した牧野の人生への好感や尊敬だ。「わたしに思いやりの心を育ててくれたのは、植物なんだ」という感謝の気持ちにも溢れていた牧野は「人びとが草木を好きになり、植物を知ることで、世の中がもっと平和にゆたかになる」と本気で考えていた。この信念もまた、「横浜植物会」をはじめ、幅広い人達が植物に親しみ、学びを深められる機会を積極的に作る、という行動に変えている。植物の美しさや面白さを愛情たっぷりに語り、ときにきのこ踊りまで披露してしまう牧野の、楽しげな笑顔が目に浮かぶようだ。
竜巻のように周囲を巻き込んでしまうこともあった。けれど、「好き」は人生に活力をくれる。牧野はその活力を周囲にも伝播させ、学問の発展に寄与した。多くの人に胸躍る知識と心の豊かさをもたらした。そんな牧野だからこそ、たくさんの賛同や支援を得られたのだろうと思った。
僕もいつか、自分の「好き」を誰かのために役立てられることがあるだろうか。そうできたらいいと思う。
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●読んだ本「牧野富太郎 日本植物学の父」(汐文社)
清水洋美・文 里見和彦・絵
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