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「大人になる」とは、何だろう。親の背を抜くこと、選挙権を持つこと、二十歳になること、自分でお金を稼ぐようになること、一人で生活できるようになること……、いろいろな解釈がある。しかし、完璧な答えとしてはどれも不十分な気がしてならない。この物語に出てくる職業体験は、まさに大人になる疑似体験の一つで、私も主人公風汰と同じ中二の頃に経験したことがある。小さい子供が好きな私は、当時迷わず小学校を希望した。担当した一年生は、私に対する一つ一つの質問、遊び、けんかの内容、どれをとってもかわいらしく、私の職業体験はとにかく楽しかった。一方、風汰が職業体験先に選んだのは保育園。その動機は、なんと「ラクそう」だからだった。あまりに自分と意欲も考え方も違う彼に驚愕したが、同時に彼がどんな五日間を送るのかという興味も芽生えた。
いざ、風汰の職場体験が始まると、泥んこ遊びに興じる子供達の中でひときわ異質な存在だったのは、しおん君だ。特に気になったのは、しおん君が洗剤の箱を誤って落としてしまい、あわてて伸ばした風汰の手に驚いたしおん君が首を縮め、両手を耳に当てて目をつぶった場面だ。驚いた時のポーズとしてはやけに大げさで、何とも言えない違和感を覚えた。さらに、皆泥だらけの中、唯一服も手も汚れていないという身なりの不自然さ。嫌な予感が、私のページをめくる手を重くした。そして、残念ながら私の予感は的中してしまう。まだ四歳の子供が深夜に一人で外に出ていても、何とも思わない母親。一緒にいても親子の間に漂う緊張感。そんなものがあって良いのだろうか。幼い子供が、常に大人の顔色をうかがっているという事実があまりに酷だった。母親に笑って欲しくて気持ちを抑えている様子も、けなげなだけに切ない。この親子から私が感じた怒りにも似たもどかしさを風汰も感じていたのだろうか。
けれども、しおん君を一人だけ別室に呼び本を読んであげていた園長先生の言葉が、私の暗くなった心に一筋の光を差した。
「平等って全員に同じことをしてあげることじゃないと思うの。一人ひとり、その子にとって本当に必要なことをしてあげる。それでいいと思うのよ。」
穏やかで優しい、それでいて、なんて強さと覚悟に満ちた言葉なのだろう。園長先生の保育士としての誇りがそこには確かにあった。
ところで、風汰という人物を知るために欠かせないのが仲間の存在だった。風汰のやることに干渉しないが、いざ風汰が子犬を拾ったところに遭遇すれば、自らエサ代を渡すなど協力を惜しまないまーくん先輩。同級生で親友である吉岡は、良くも悪くも風汰と同等の立場を貫く。だからこそ、彼の発言は風汰の行動の起爆剤になる程の影響力を持つ。女子の柏崎は、風汰が拾った子犬の引き取りを巡って風汰と険悪な雰囲気になった。しかし、子犬が病気になったのを知るや否や率先して職業体験先の近くの動物病院に案内するなど実は面倒見が良い。実に彩り豊かで心強い仲間達だ。風汰は、他人の評価を恐れない。自分が良いと思えば、一人でも行動するだろう。だが、勢いだけで行動することが、必ずしも目標達成に結びつくとは限らない。彼のような性格は、気持ちばかりが先に立ってしまい、行動が伴わず空回りすることもある。そういえば、園児達は風汰のことを「風汰先生」でなく「風汰くん」と呼んでいた。まるでいつも自分であり続ける風汰の本質を、幼くてもちゃんと見抜いているように思える呼び名だ。そんな風汰が風汰のままでいるためにも、彼らの存在は、重要なのだ。
風汰は職場体験を通して確かに成長した。
「人と人とが出会って、そこからなにも得るものがないなんてことはないでしょ。」
という園長先生の言葉通りに。最終日、いつものように息子を保育園に送り届けるとすぐに立ち去る母親を、しおん君と共に大声で見送り、振り返らせることに成功した。きっと、これが風汰が導き出した園長先生の言う「しおん君にとって本当に必要なこと」だったのだろう。
この本は私に実に多くのことを伝えてきた。特に印象に残ったのは、人は誰しも「事情」という名の「にもつ」を背負って生きていることである。その一つ一つには、思いや正義があった。また、自分の正義が他人にすべて当てはまるわけではなく、たとえ問題を解決しようとしても一筋縄ではいかないことも多い。「大人になる」とは、他人が背負う「にもつ」を理解し、それに寄り添ってあげられる度量の広さを持つことではないだろうか。今、私がすべきこと。それは、他人の荷物を理解するのに十分な知識を身につけ、豊かな経験を積むことだ。そして、私もいつかなりたい。風汰や仲間、園長先生のような、人の気持ちに寄りそえる人に。大切な人達の「にもつ」が少しでも軽くなることを願って。
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●読んだ本「天使のにもつ」(童心社)
いとうみく・著 丹下京子・絵
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