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「あしたは、なにをしようかな。ね、おにいちゃん?」の言葉が、とても心に残った。それは、平和な日常と、原爆という悲惨な死の境目を表す言葉のように感じたからだ。たった一発の原子爆弾によって、楽しみにしていた「明日」が奪われてしまったのだ。公子ちゃん兄弟四人と、お父さんお母さんの幸せそうな沢山の家族写真を見て、ぼくは何気ない普通の日常生活がとても幸せだという事、そして、その生活を奪ってしまう原爆や戦争は、絶対に繰り返してはいけないという事を、改めて強く感じた。
ぼくは去年、ひいおばあちゃんが住む長崎に帰省した時、原爆投下日の八月九日に、原爆資料館で全国各地から訪れていた小学生の中から三十六人にアンケートをとった。いくつかの質問事項の回答の中で、長崎に原爆が投下された事を知らなかった人が四人、家族で原爆や戦争について話す事が全くない人が六人、学校の授業や先生から原爆や戦争について全く聞いた事がない人が六人いた事に、正直おどろいた。広島と長崎に原爆が投下されて今年で七十五年。昔の事だからといって、無関心になってはいけないと思うし、人間が人間の大切な命を奪う事は、絶対にあってはいけないと思う。誰もが命のバトンを受け取り、生きていく使命があるからだ。
この本には、日本語だけではなく、英語でも一緒に表されている。なぜだろう?きっと、老若男女問わず、日本人に限らず、全世界の人にこの悲惨な事実を伝えたいという、著者である指田さんの強い願いがあるからだ。
ネコをおんぶする公子ちゃん、海水浴やピクニック、道路に落書きする兄弟、どれもこれも青空であっただろう空の下で楽しく過ごす笑顔の写真。この後に起きる残酷な悲劇を思うと、この笑顔が悲しくなってしまう。ぼくが通う学校の校歌の歌詞に、「この空の広さを見上げながらいつも、よく学び、よく想い、朗らかな人となれ」という一節がある。グラウンドにいると気持ちが良くなるほど、本当に広くきれいな空だ。その空に包まれて、ぼくはもう五年生になる。この空に、きのこ雲や戦争で戦う世界を見せたくない。空だって、見たくないだろう。ずっと穏やかな世界を見ながら、見守っていてほしい。
公子ちゃん家族の笑顔いっぱいの写真が伝えるメッセージを、ぼくたちはしっかり受け止めていかなければならない。そのためには、「知る」事が大切で、何事も「知る」事から始まるのではないかと思う。だから、学校や家庭でも戦争や平和について話し合ったり、命の重みを考えたりする家族が増えたらいいなと思う。ぼくも知って考えた事は、意識していこうと思っている。言う事は簡単で実行する事は難しいけれど、一人一人が思いやりの心で、自分にできる優しさを家庭で、学校で、社会で実行できたら、もっと平和な明日が広がっていくだろうと思う。ぼくがいつも見上げている、広くきれいな空のように。
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●読んだ本「ヒロシマ 消えたかぞく」(ポプラ社)
指田和・著 鈴木六郎・写真
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