◆毎日新聞2024年6月8日 全国版朝刊

思いを「書く」 将来の力に 俳優・井上祐貴さん

<読んで世界を広げる、書いて世界をつくる。>

 テレビドラマ「silent」「どうする家康」などの話題作に相次いで出演し、若者の間で人気上昇中の俳優、井上祐貴さん(28)。実は子供の頃からの読書家で、本をいつもかばんに入れて持ち歩き、少しでも時間があれば開くという。今は、ちょっと意外な場所での読書にハマっているのだとか。井上さんが語る、本の魅力とは。【文・屋代尚則、写真・前田梨里子】

◇お風呂で本、使用感に愛着

 井上さんの本好きの「原点」は、読み聞かせだったという。幼い頃、家では母親が絵本を、保育園でも先生が本を読んでくれた。

 「今でも思い出す絵本は『ぐりとぐら』シリーズ(中川李枝子作・福音館書店)ですね。読んでもらった後、自分でも本を手に取って、字を追っていった。何度も繰り返して『読む』のが好きでした」

 小学校低学年の頃は児童書「かいけつゾロリ」シリーズ(原ゆたか作・ポプラ社)に夢中に。その後は中学校の野球部が舞台の小説「バッテリー」シリーズ(あさのあつこ著・現在は角川文庫など)に魅了される。学校では週に一度、児童が一斉に読書をする時間が設けられていた。図書館にあったバッテリーシリーズは「(同級生たちと)取り合いでした。『やっと回ってきた!』と思って読んでいって、ハマりましたね」。

 井上さんがその後、同じようにハマった本は数知れず。過去の豊富な読書体験は、時を経て、現在の新たな楽しみにつながっている。かつて胸打たれた本を再び開くと、同じ中身でも「発見」があるという。バッテリーシリーズも、今年に入って読み返した。

 「主人公には弟とぶつかり合う場面がある。僕にも2歳下の弟がいて、昔は主人公と同じような立場で『この弟、腹立つな』なんて思いながら読んでいました。でも今読んで『兄貴(主人公)、もっと大人になれよ』と感じた。大人の視点だと、目に映るものが違うと思いました」。自分も昔は、弟に冷たくあたってしまっていたのかな。そう振り返ったのだとか。

 テレビドラマや映画の俳優の仕事は、撮影現場の状況次第で、自分の出番をずっと待ち続けることもある。でも、井上さんにとっては、その合間も貴重な読書の時間になる。「今、いつも開いているのはこの本です」と、かばんから2冊の文庫本を取り出して見せてくれた。「少年と犬」(馳星周著・文春文庫)と「52ヘルツのクジラたち」(町田そのこ著・中公文庫)。前者は直木賞受賞作で、東日本大震災発生後の時代が舞台。日本を行脚する「主人公」の犬と、行く先々で出会う人々との交流を描く。

 「泣かされました。言葉を交わさなくても、表情や動き、情熱があればコミュニケーションは成立するんだ、と」。俳優として、表現とは何かを深く考えるきっかけにもなったという。

 「何かに夢中になりたい。リフレッシュしたい。そういう時こそ、本を手に取ります」。そんな井上さんにとって、お気に入りの読書スポットは家の中。しかも、ちょっと驚く場所だ。

 「お風呂につかりながら、本を読むのが好きなんです。紙の本を持ち込んで、長ければ1時間くらい」。当然、ページが水にぬれることもあるが「それでしわができたり、指でめくった跡がついたり。新品の本に『使用感』がにじんで、愛着が湧く。紙の本の、そんなところが好きなんです」

 俳優として活躍の場を広げている井上さん。忙しい中で、読書の時間を作るのは大変では? そんな質問に対する答えはこうだ。

 「その時間を作りだすというのが、自分にとって大切な気がしているんです。本と向き合う1時間が、僕は好きなんですよね」

 井上さんは、かつて取り組んだ読書感想文について「少なくとも、得意ではなかった。『バッテリー』で書いたのは、覚えていますが」。そう振り返る。

 「書く」ことも「演じる」ことも、自らが内に秘めるものを表現する点では共通する。読書感想文に臨む子供たちに井上さんは「先輩」としてエールを送る。

 「まずは自分の興味のある本を見つけて、読んでみてほしい。何を書けばいいのか悩んだら、文章でなくても、思いついた単語を書き出してみるのでもいい。自分の思いを言葉にする、発信するという作業は、後々の力になると思うんです。僕は今の仕事をしていて特にそう思うようになりましたが、どんな仕事でも、それはきっと、一緒なんだと思いますね」

おほんちゃん


■井上祐貴(いのうえ・ゆうき)さん

1996年6月6日生まれ。広島県出身。2022年のNHK連続ドラマ「卒業タイムリミット」で主演したほか、「silent」(22年、フジテレビ系)や「マルス―ゼロの革命―」(24年、テレビ朝日系)などのドラマで活躍。昨年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、徳川家康の側近、本多正純を演じた。