<読んで世界を広げる、書いて世界をつくる。>
お笑いコンビ「ティモンディ」の前田裕太さん(30)は、高校野球の名門・済美高(愛媛県)で甲子園を目指し、その後は弁護士になろうと法科大学院で学んだ異色の芸人だ。前田さんは、「人生の岐路で迷った時、いつもそばに本があった。ずっと本に救われてきた」と読書の魅力を語る。【文・大沢瑞季、写真・前田梨里子】
大きな転機が訪れたのは、高校3年の夏。甲子園出場がかなわず、野球一筋でやってきた前田さんの心は折れた。「もうだめ、人生は終わった。何も頑張れない」
絶望している前田さんに、学校の司書が「やることないなら、読んでみたら」と薦めてくれたのが、小説「カラフル」(森絵都著)だった。生前の罪により、輪廻(りんね)のサイクルから外されていた〝僕〟の魂が、自殺を図った少年の体にホームステイするというストーリー。
前田裕太さん
主人公の駄目さ加減に「こいつ、僕よりも終わっているなあ」と感じた。「自分ってもしかして、大丈夫なんじゃないか?」。いつしか前向きな気持ちになっていた。「野球がダメな自分は価値がない」と思い込んでいたが、「野球が全てじゃない」と視野が広がった。本に救われた瞬間だった。
それからは、1日1冊のハイペースで本を読んだ。司書から、キラキラの青春恋愛小説を薦められた時は「絶対楽しめない」と思ったが、読んだら面白かった。「意外と適当に手を伸ばした先に面白いものってあるのかも」。そう感じた。
一方で、全く面白さが理解できない本もあったが、「自分の価値基準が全てじゃない」と気づかされた。本を読んで、いろいろな人生を疑似体験するうち、他人にも、自分にも寛容になっていった。「こんな自分でも、認めてくれる人が世の中にはいるかもしれない。今は折れている心も、回復した時にはもっと強くなれるはずだ」
大学では法律の勉強に熱中し、自分でも驚くほど成績が伸びた。だが、弁護士を目指す中で「上には上がいる」と感じ、壁にぶつかることも。そんな時は、作家・森見登美彦(とみひこ)さんの小説に救われた。登場人物は、自己愛と劣等感が入り交じるひねくれた人物が多い。「執着を捨てきれない人間くさいところも、いとおしいと思わせてくれた。何者かになりたくて自分が今頑張っていることは、恥ずかしいことじゃない。そう思えたんです」
大学4年の卒業間際、済美高野球部の同期だった相方の高岸宏行さん(30)から「お笑いを一緒にやろう」と誘われた。その時は既に、法科大学院に学費全額免除の特待生として合格。夢に向かって歩き出そうとしていた矢先だった。
なぜ、前田さんは180度違う道へ進む決意をしたのだろうか。「人って、しんどい時に人間性が出ると思うんです。高校時代、本当にきつい時に背中を押してくれたのが高岸でした。ずっと一人で勉強して、弁護士を目指してきたけど、そういうやつと、二人三脚で漫才をやるのがすごく楽しかった」
大学院を中退した。芸人になった当初は、仕事が少なく、電気やガス、水道を半年ほど止められたことも。なんとかして売れたい。既に人気のある先輩芸人が羨ましかった。だが、一見成功していても、楽しそうじゃない先輩もいた。誰もが望む場所に居るのに、なぜ?幸せって何だ?
答えを知りたくて、哲学書や経営者の自伝、宗教などの本を読みあさった。幸せの形は、一つじゃないことを知った。
ライブでたった2人のお客さんを前にネタをやり、すべった帰り道。高岸さんと話した。「これでも、僕たち幸せだよね」。そう思えたのは、本をたくさん読んだから。「読書は、面識のない普通だったらしゃべれない人たちと会話するようなもの。今でもずっと、本に救われ続けています」
芸人をやりながら、7年間は塾の講師や家庭教師をした。その経験から、読書感想文に取り組む意義は大きいと感じている。「読書感想文は、正解がないのがいい。同じ作品を読んでも、人によって全然違う文章になる。自分にとっては、当たり前の感想でも、他人から見たらすっごく面白い。その時の自分の感性で書けたものは百点。大切にされるべきあなたの感性だから、文字にすることで、みんなからすてきだねと思ってもらえる機会になればいい」
継続的に取り組み、過去の作品を読み返すのもお勧めだと言う。「他人とだけでなく、過去の自分とも比較できる。何に対してどう心が動いたとか、こんなところに目をつけるような感性があったんだとか、発見がたくさんあるはず。そういう経験を経てアイデンティティーって、確立されていく。読書感想文だからこそできることだと思います」
1992年生まれ、神奈川県出身。駒沢大卒業、明治大法科大学院中退。コンビで、NHK・Eテレ「天才てれびくん」のメインMC。前田さんは、ウェブマガジン「ar web」「おとなの週末Web」でコラムを執筆中。