◆毎日新聞2022年7月9日 全国版朝刊

本で養う生きる力 一歩踏み出す夏に

<読んで世界を広げる、書いて世界をつくる。>

 第68回青少年読書感想文全国コンクール(全国学校図書館協議会、毎日新聞社主催)の課題図書が学校の夏休みを前に発表された。夏休みは、まとめて本を読んだり、川や海などで水遊びをしたりするのに絶好の機会だ。埼玉県立川の博物館(同県寄居町、通称・かわはく)館長の平山良治さん、サントリーホールディングス(HD)サステナビリティ経営推進本部専任課長の森揚子さん、全国学校図書館協議会理事長の設楽敬一さんが、川や水といった身近な自然や子どものころの読書体験などについて語り合った。【司会・大矢伸一、写真・木村滋】

◇「一冊」が人生変える……埼玉県立川の博物館館長・平山良治さん

埼玉県立川の博物館館長 平山良治さん

——かわはくはどんな博物館なんですか。

平山さん 埼玉県の母なる川、荒川を中心とする河川や、水と人々の暮らしとの関わりをさまざまな体験学習を通して理解してもらうことを目的に、1997年にオープンしました。日本一の施設が三つあります。木製の大水車は水輪の直径が24・2㍍あります。荒川大模型173は源流から河口までの流れと本流沿いの地形を1000分の1に縮小し、屋外の精密地形模型として最大です。ちなみに、173は荒川の長さが173㌔あることから名付けられました。大陶板画「行く春」は縦5・04㍍、横21・6㍍で、屋外に展示した日本画の美術陶板として日本一の大きさです。明治から昭和にかけて活躍した川合玉堂が荒川に浮かぶ船車をモチーフに描いた作品です。

——設楽さんはかわはくを訪れたことがあるそうですね。

設楽さん 子どもを連れて行きました。印象深いのは、ウオーターアスレチック施設(遊具に乗りながら水圧など水の性質を体験したり、治水・利水を学習したりできる)や鉄砲堰(ぜき)の放水実演です。荒川とともに生きる昔の人々の暮らしが展示されていたこともよく覚えています。

——水と切り離せないお仕事をしていらっしゃる森さんはいかがですか。

森さん 私はまだ行ったことはありませんが、お話を伺ってぜひ行ってみたいと思いました。あらゆる生き物にとって水は大切なものです。我々サントリーも水なくして何もすることができません。その水を育んでいるのは森です。生命線の水、地下水を守るために、2003年から、「天然水の森」という、水を育む森を守る活動を続けています。サントリーの工場でくみ上げる地下水の2倍の水を森で育むことを目標に掲げ、19年にその目標を達成、現在「天然水の森」は全国15都府県に21カ所、約1万2000㌶に広がりました。また、その思いを体験を通して子どもたちに伝える「水育(みずいく)」という次世代環境教育も行っており、子どもたちに川や水の大切さを教えているかわはくさんと伝えたい思いの根っこは同じだなと思いました。

——平山さんは土壌学が専門と伺いました。

平山さん 来館した子どもたちに「川の始まりはどこですか」と聞くと、山の中の岩から滴がぽたぽたと落ちるところという答えが返ってきます。そこで、その滴はどこから来たのかという話をします。雨が降っても地面に吸収されないと地表に流れ出てしまいます。滴になるためには、流れ出ないようにしっかり保水する健全な土壌が必要で、土壌が健全であるためには、森林の豊かさが必要だと説明します。だから、子どもたちには、川の始まりというか、ぽたぽた落ちる滴というのは、天から降ってきた水が森林とその下の保水力のある成熟した土壌を通って徐々にきれいになったものだという話をしています。

——土壌は成熟するものなのですね。

平山さん 一般的に土壌が成熟するには数千年かかります。植物や動物の死骸などが分解されて土壌特有の物質になるのに非常に長い時間がかかるためです。そうした物質が地中の石などをつなぎ留め、次第に保水力のある構造になっていきます。一方、森林が、たとえばブナ林が成熟するには1000年未満、500~600年でちゃんとした森になります。ところで、荒川の上流の方の土壌は成熟しておらず、世界的に見ても未熟土と呼ばれる土壌です。そんな土壌にもかかわらず、豊かな森林を支え、生き物が水の恩恵を受けられるのは、それだけたくさんの雨水が落ちてくるからです。世界を見渡しても、これだけ豊かな水や自然環境に恵まれたところはないです。日本がいかに水に恵まれているのかを子どもたちに教えていかないといけないのですが、それがなかなか難しいです。

おほんちゃん

◇自分の言葉で表現を……サントリーHDサステナビリティ経営推進本部専任課長・森揚子さん

サントリーHDサステナビリティ
経営推進本部専任課長 森揚子さん

——森さんは、水の大切さを子どもたちにどのように教えていらっしゃいますか。

森さん 我々は、降った雨や雪が大地にしっかり受け止められ、地中の奥深くへ潜る間にろ過され、地層のミネラルをたっぷり含んで、長い歳月をかけて天然水へと磨き上げられると説明しています。そして、降った雨をしっかり受け止める土を、ふかふかの土と呼んでいて、そのふかふかの土の役割、大切さを、実際に土に触れたりし、実験や体験を通して子どもたちに伝えています。「森づくりは土づくり」であり、天然水の森の活動は1年、2年でできるものではなく50年、100年先を見据えた活動です。先ほど、日本各地に天然水の森が21カ所あるという話をしましたが、これはサントリーの土地ではないんですね。工場の周辺にある国や県などの所有地について、自治体などと整備のための協定を結んでいます。それも長い年月がかかるということで、30年とか長い期間の契約をして整備させていただいています。

おほんちゃん

——子どもたちは、そうした学習や体験を通して知識を増やしていくのですね。知識を増やす情報源として、本もありますが、みなさんの子ども時代の読書体験はいかがだったでしょうか。

第68回青少年読書感想文全国コンクールの課題図書

平山さん 小学5年生の時に読んだ下村湖人の「次郎物語」にものすごく感銘を受けました。最初、図書館で読んだら面白かったので親に買ってもらいました。かなり厚い本でしたが、読み切ることができました。感想文を書いて何か賞をもらったことも記憶しています。

森さん 私は読書感想文を書くのが苦手でした。格好良いことを書こうとか、そうした気持ちが出てしまって、自分の言葉ではなく、借りてきた言葉で書いていました。本質よりも、書くことだけに気持ちが行ってしまった思い出があります。今は分かるのですが、格好良く書くことは重要ではなく、自分の言葉できちんと表現すること、そこから考えを深めていくことが重要なんですね。今にして思うのは、素直な気持ちを表に出してそれを言葉にすれば良かったのだと思います。失敗談ですみません(笑い)。

設楽さん いえいえ、決して失敗談ではないと思いますよ。多くの子どもたちが読書感想文を書く時に当時の森さんのような気持ちでいるのではないでしょうか。というのは、素直に書くことは難しいからです。私も教員の時、子どもたちに「素直に書けば良い」と指導していましたが、子どもたちは自分の気持ちをぴったりの言葉で表現する語彙(ごい)力がまだ身に付いていないので、言いたいことが言えなかったり、伝えたいことが伝わらなかったりすることが多いのです。語彙力はたくさん本を読んでいくうちに、こういう時にはこういう言葉で表現すれば良いということを学んでいくので、今にして思うのは、そういう指導をしておけば良かったと……(笑い)。

平山さん もう一つ、私には忘れられない本があることを思い出しました。高校3年生の時に岩波新書で読んだ中尾佐助という方が書いた「栽培植物と農耕の起源」です。それまでは、大学は工学部に進んで土木関係を学ぶつもりでいたのですが、その本を読んでから農業に関心を持つようになり、志望大学まで変えてしまいました。そうして農学部のある大学に入ったのですが、いつの間にか農耕はどこかに行ってしまって、土壌学をやることになって、今に至るのですが……(笑い)。土壌学の方に行ったのは単に山に登りたかったからです。

おほんちゃん

◇短いメモから文章に……全国学校図書館協議会理事長・設楽敬一さん

全国学校図書館協議会理事長
設楽敬一さん

——冊の本との出会いが進路を決めることがあります。

設楽さん 自分に合った本をいつ見付けるかが非常に重要です。私自身の思い出をお話ししますと、中学生の頃まで、途中で投げ出してしまって一冊の本を最後まで読むことができませんでした。読書が楽しいと思ったことがなかったのです。高校生の時、絵本の「かわいそうなぞう」を初めて最後まで読みました。絵本であっても一冊を深く読み込むと気分がすごく良いんですね。それから最後まで読めるようになり、最後まで読むと楽しいから次の本を読むという形になりました。

——子どもたちが本を読んだり、読書感想文を書いたりすることは、生きるためにどんな力を育むのでしょうか。

森さん 生きる力はいろいろな体験をすることで養われていきます。ただ何でも体験できるわけではなく、体験できないことを本を読んで補うこともあると思います。本を読むことによって、自分の考えを深めたり、広げたりして、実践につなげていくこと。それが始まりになるわけですし、それがなければ次の一歩に進んで行きません。次の一歩を踏み出せれば、自分自身の成長を実感できると思います。

平山さん 私は乱読でした。転校が多く、小学校は4校、中学校は2校に通ったので、友達がなかなかできず、ひとりで本を読むしかありませんでした。たくさん本を読む中で、思考が哲学的になったり、基本概念を捉えることができるようになったりしました。生きる上で、そうした力が身に付くことも読書によってもたらされるものだと思います。

設楽さん 最近は学校で感想文など作文を書く時間が短くなっていると聞きます。作文によって養われる読解力、表現力、批判的思考力などをどうやって育てていくかが課題になっています。たとえば、本を読んで、感想文として長い文章は書けないけれど、短いメモなら書けるということはあるでしょう。メモの中から、これはというものを一つ選んで、夏休みの間にメモをふくらませて長い文章にしてみてはいかがでしょうか。1年に1度、感想文コンクールにチャレンジしてみることをお勧めします。


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■人物略歴

◇平山良治(ひらやま・りょうじ)さん……1947年生まれ。農学博士。専門は土壌学。モノリス(土壌標本)収集のため世界各地を訪れ、ブータン王立植物園創設にも参画した。国立科学博物館筑波実験植物園勤務を経て2008年から、かわはくに勤務。翌09年に館長に就任した。

 

◇森揚子(もり・ようこ)さん……1958年生まれ。神奈川県出身。早稲田大卒業後、80年サントリー入社。ワイン営業、企画、新規事業開発業務の後、2007年9月から次世代環境教育「水育」担当。一般社団法人日本ソムリエ協会認定シニアソムリエ。

 

◇設楽敬一(したら・けいいち)さん……1954年生まれ。群馬大教育専攻科修了。埼玉県公立中教諭を経て2008年に全国学校図書館協議会入局。17年に同協議会理事長に就任。約20年前から青少年読書感想文全国コンクールに関わっている。共著に「学校図書館の活用名人になる」など。