◆毎日新聞2022年6月11日 全国版朝刊

「自分の国」作る喜び 異なる人生に触れる 俳優・岸井ゆきのさん

<読んで世界を広げる、書いて世界をつくる。>

 映画や舞台、ドラマなど、幅広く活躍している俳優の岸井ゆきのさん(30)。近年は主演作品も続き、その存在感は増し続けている。多忙を極める毎日だが、家に帰ると映画を見たり本を読んだりして過ごす時間を楽しんでいるという。「本はその世界を頭の中で想像できるところが好き。自分の国を作る感覚で小説を読んでいます」と読書の楽しみを語る。【諸隈美紗稀】

 岸井さんには「常に自分の人生以外の世界に触れていたい」という思いがあるという。だから、自宅での映画鑑賞や読書は貴重なひとときだ。「別世界に触れていることで、現実世界で頑張れる」と明かす。

 最近は、宇宙を舞台にしたSF小説「プロジェクト・ヘイル・メアリー」(アンディ・ウィアー著、小野田和子訳、早川書房・上下巻)にはまった。気がついたらたった1人で宇宙にいた主人公が、人類滅亡の阻止に挑むという物語だ。手に取ったきっかけは、オバマ元米大統領が面白かったと評価していたことをインターネットで知ったからだった。「一緒に宇宙に浮いているような言葉遣いや描写がちりばめられていて、主人公と自分が話しているような感覚になりました。一瞬たりとも飽きさせないし、宇宙のことが分からなくても全部教えてくれた。これを超える作品は数年現れないと思います」と熱く語る。

◇配役も自分で想像

 本の魅力は「自由なところ」という。「プロジェクト・ヘイル・メアリー」はライアン・ゴズリング主演で映画化が決まっているが、頭の中ではマット・デイモン主演で読み進めた。「配役も温度感も全部自分で想像できる。本には読んだ人それぞれの世界が存在する」と考えている。

 宮沢賢治の詩集「春と修羅」も、大切にしている作品の一つだ。2014年に出演した舞台「サナギネ」で、その詩集の中の一節をいつもそらんじている役を演じた。当時の演出家からもらった本を手元に置いており、今でもたまに読み返す。

 本をよく読むようになったのは、20代で上京し、1人暮らしを始めてから。1人の時間が増え、元々好きだった映画を見る時間に加えて本を開くようになった。仕事で知り合った監督や友人にお薦めの本を聞き、選ぶ時の参考にしている。自宅では集中して読める小説を、仕事場では撮影の合間に読みやすいエッセーを手に取ることが多い。

 子どもの頃は読書好きだったわけではないが、林明子さんの絵本「こんとあき」(福音館書店)が大好きだった。主人公あきと、あきの祖母が作ったキツネのぬいぐるみ「こん」が、祖母の家を目指す冒険物語。実家では寝室の本棚に置いてあり、母親に何度も読んでもらった。キャラクターグッズも持っている。

◇「感じたまま表現を」

 多くの子どもたちが原稿用紙を前に頭を悩ませるように、岸井さんも読書感想文には苦手意識があったという。「本当に面白いと思っても、『面白かった』という以外にどうやって言葉で表現したらいいのか分からなかった」と振り返る。先生や親からは「何が言いたいのか分からない」と首をかしげられたこともある。とはいえ、読書感想文に正解はない。これから感想文に臨む子どもたちには、「周りの人からいろいろ言われるかもしれないが、素直に感じたままを表現したらよいと思う」とアドバイスを送る。

 今夏は新たな挑戦もあり、7月に初の著作となるフォトエッセー「余白」が刊行される。「自分自身を振り返るのは得意じゃない」と言うが、30歳という節目を機に出版の依頼を引き受けた。家族や友人への思い、恋愛観などについて赤裸々に伝える中で、「自分は変わっていないと思っていたけれど、少しずつ変わっていた。急じゃないのが自分らしいと思った」と感じた。映画鑑賞、読書、そして書籍の刊行と、岸井さんの世界はさらに広がっていく。

おほんちゃん


■岸井ゆきの(きしい・ゆきの)さん

1992年2月11日生まれ。神奈川県出身。2009年にデビューし、NHK連続テレビ小説「まんぷく」や映画「やがて海へと届く」などに出演。19年公開の「愛がなんだ」で日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した。6月24日から映画「神は見返りを求める」が公開予定。